荒波高い玄界灘の奥深く、伊万里湾に浮かぶ、別名肥前松島とも言われる小島「いろは島」を望む海岸近くの片田舎で、百姓の後継ぎと思って疑わなかった農家の長男が、思いもいなかった新聞記者になり、人生のほとんどをマスコミ、報道に関連することにたづさわることになった。
それは平穏なことばかりではなく、玄界灘のように波高いことの方が多かった。これはいわば百姓の跡取りのはずだった男の人生記。
昭和15年(1940)4月に、四人目にやっと生まれた男で「跡取り」は既定のコース、何の疑いもない、それが当然の時代でした。政治だけでなく、一寸先は闇、というのか。転機まで「7年」の歳月はあったが、180度以上の転換だった。その「7年」から始めます。 |
おそらく〈終着駅〉 海辺ん家(野天風呂で独泉)
海辺ん家の野天風呂、NHK-BS!に 10月23日 午後6時 〜でした
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さて何ができるか、出来ないか
下の写真は12月12日にコンクリとを打った何かの基礎、のつもりです。
果たして何になるか。年内に完成、というより姿くらいはと進めていたが、鬼が笑う来年になりそう。
物になったら一度お試しに―となりますよう…。(2021/12/17)
「投稿」に追加―22・01・11
西日本新聞、こだま欄(21・12・22)に掲載の「森友学園問題 政府真相隠し」